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JARDIN D'ORFEUIL / ジャルダン・ドルフォイユ 2020

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容量
750ml
度数
14.5
フランス
産地
ローヌ
カテゴリー
生産者
ラングロール
品種
グルナッシュ・ノワール
味わい
醸造
粘土と泥灰土質土壌。
ロースという白い石灰石(タヴェル独特の土壌)。 
グラップ・アンティエールのぶどうをステンレスタンクで12日間マセラシオン・カルボニック。
コンクリートタンクにて18ヶ月間熟成、瓶詰後1年瓶内熟成。
タヴェル区画のぶどうを使用。
2020年で最も熟度の高かった樹齢70年のグルナッシュ。
エチケットのデザインはタヴェル出身のアーティスト、フォルコとピエール・カヨル作。
2020年は、4月末に一部の区画で雪が降り、やや収穫量減。
霜の被害を免れた区画のぶどうは収穫量も問題なかった。
その後8月の雨によってフレッシュさをキープしバランスのとれたヴィンテージになった。



【生産者情報】
自然派タヴェルの草分け的存在、ラングロール エリック・ピュフェルリング

父の仕事である養蜂を手伝っていたエリック氏。
1988年の祖父の引退と同時にぶどう栽培を引き継ぎ、2000年までは農協にワイン販売を行っていた。
同時に土壌の研究をしていた彼は、
「痩せすぎるほど痩せた土地でのワイン栽培は、味わい深く繊細な赤ワインができるはず」
と、赤ワインを突き詰めていき、2001年、彼独自のワインが誕生した。

あくまでも自分の目に届く範囲で確実な仕事がしたい、果実のみずみずしさを残すために、クリーンな醸造設備を心がけ、発酵時期には大型の冷凍トラックを玄関前に1か月横付けするという徹底ぶり。
太陽がないと生きていけない“トカゲ”をモチーフにしたラベルが印象的。
冬の辛い畑仕事も、飲んで喜ぶお客さんの顔を思いながら取り組んでいる。

また、日本とエリックのつながりは深く、彼のやっていることを最初に認めてくれたのは日本だという。
日本で、いろんな人たちと接し、自分の道が間違っていないことを確認したという。


~ラングロール エリック・ピュフェルリングとは??~

●幼少期~青年期
1962年10月23日、アフリカ、ナイジェリア生まれ。
祖父と両親の仕事の関係で、生後2カ月までアフリカで暮らしていたそう。
その後アフリカからフランスに戻り、ニームの村で生活を始めた。
子供のころから自然が好きで、屋外で自然に触れて育った。
性格的には、押さえつけられるのが嫌いで、とにかく反発しがちな子供だったという。

そして青年期、父親の影響もあり養蜂家として働いていたが、母方のおじいさんが亡くなり、その所有するぶどう畑の相続で家族会議が行われる。
家族は、エリックが一か所に落ち着いて仕事するように、また、養蜂家という自然に一番近い環境にいることを考慮して、エリックにぶどう畑を相続するように薦めた。
これが1988年。譲り受けたぶどう畑50ha。
ここからエリックのワイン造りの歴史が始まる。


●妻、マリー・ローの父親の教え
ぶどう畑の栽培方法も全く分からないエリックに、昔ながらのぶどうの栽培を教えてくれたのは、
ぶどう栽培から引退したばかりの、奥さんのマリー・ローの父だった。
元々養蜂家として、自然環境の汚染に不安を感じていたエリックに、マリー・ローの父親が教えてくれる昔ながらの自然な農法は、スムーズに吸収されていった。


●エステザルグの出会い
1990年から近くの若手生産者が集まる協同組合の組合員になり、ぶどうを売り始めた。
この1990年から2000年の間は、まさに試行錯誤の繰り返しであり、ぶどう畑は有機栽培へ完全に移行、
そして醸造に関しても、いつかの独立を目指して実験的醸造を数多く行った。

このときに出会ったのが、当時のエステザルグの醸造責任者のジャン・フランソワ・ニック(現・フラール・ルージュの生産者)。
あまりにも世間に、工業的で頭痛のするようなワインが多いことに疑問を持っていた二人は、自然栽培のエリックの経験、ジャン・フランソワの酸化防止剤を使用しない醸造技術をお互いに情報交換し、2002年、同時にお互いの夢を目指し独立をする。
ラングロールの誕生である。


●洪水の年2002年、酷暑の年2003年
しかし運命は過酷だった。
独立最初の2002年は、雨が多く、ローヌ地方では洪水が発生。
収穫量は予定の半分であった。
そしてまた2003年は、乾燥・酷暑の年。
ただでさえ暑い南仏のタヴェルを酷暑が襲い、この年も収穫量は激減した。

2002年の洪水のとき、濁流がぶどう畑を削り取り、一部崖のような断層ができた。
それを見てエリックは自分のぶどう栽培に確信を持った。
硬い岩盤質の石を、根っこが垂直にまっすぐ伸びていることが分かったのである。


●自然派ワインを造ることは、洋上で帆船で進むがごとし
自然は人間より強い。
自然な栽培や醸造をすることによって、いろいろな苦難もある。
しかし、海の上を進む帆船のように、風に身を任せ、自然を受け入れながら、
目的地に向かっていくことが大切なのだとエリックは言う。
ぶどうは年に1回しか収穫できず、もちろんワイン造りも年に1回しかできない。
そこで、人間のエゴや思い込みが入ると、良いワインができない。
逆にいいワインを造らなくてはいけないという思い込みから、自分を解き放ち、無の状態からその年のぶどうを受け入れ、そこに最善の努力をしなくてはいけない。

また、自然酵母を活かすため、もちろんSO2は収穫・醸造段階では一切使用しない。
赤いぶどうのプレスも、白ぶどうのプレスに圧力でゆっくりとやさしく行う。
そして、ワインの液体の移動は全て重力で行い、決してポンプは使用しない。
ぶどうのポテンシャルを最大限に活かしたワイン造りといえる。


●日本が与えてくれたもの
ラングロールには、ニュル・パール・アイユールという日本だけの、日の丸ワインともいわれるキュベがあった。
樹齢100年を超えるグルナッシュから造るワインだが、この区画は、日本のラングロールファンの支援のもとに手に入れられたぶどう畑である。
このワインには、いろんな人たちの想い、エリックの日本への感謝の想いが込められている。

自然な栽培を始めた当初、除草剤を使用せず、ぶどう畑に雑草を生やし、手作業で畑を耕し、
収穫も手摘みで行う彼の姿を見たタヴェルの周りの生産者たちは、エリックの頭がおかしくなったのではないかと馬鹿にした。

また、昔ながらのタヴェルのワインを再現した彼のワインをAOCは認めなかった。
多くのワインは、テーブルワインとして販売することとなった。
そんな中、初めて来日し、自分のワインが普通に受け入れられていることに驚き、そして多くのソムリエ、料理人、お酒屋さんがワインを褒めてくれ、自分の栽培・醸造方法、生き方に共感してくれた。
その感動がエリックに自信を与え、さらに彼のワイン造りが進化する原動力になったことは、間違いない。


●家族の絆
そんな中、二人の息子、長男チボーと次男のジョリスが本格的に畑や蔵で働き始めた。

長男のチボーはパリのソルボンヌ大学で哲学(世界の中でもトップ26位の評価!!)の勉強の傍ら、父のエリックを手伝い始めたのが2010年から。
大学を卒業し、家業を継ぐべく、2018年からいよいよ本格的に蔵での仕事を開始させた。

ワインに限らず、芸術、スポーツでも、ギリギリの最先端に挑戦し続ける天才には、その時々の精神状態が大きく影響するものだ。
オリンピックの金メダルは、筆舌を尽くし難いトレーニングと勝負師としての天性の才能、
そして微塵もブレない心が、「高い位置」でバランス取れた時に到達すると言われている。

ワインも同様。天才的醸造家が、家庭不和などで心がブレ、造りが乱れた例などゴマンとある。
ラングロールのような、芸術の極みをいくワイン造りには、心のブレがない稀有な集中力が絶対に必要なのだ。

初期のエリックは、彼の心をマリー・ローが全面的に支えてきた。
2人の姿を真っ白な心で見て育った兄弟チボーとジョリス。
両親のエリック、マリー・ローとはもちろん、チボーとジョリスは兄弟間でも一度も喧嘩したことのないというブレの一切ない超越したグレートファミリー。
そしてなにより、日々、ワインの研究、共有を欠かさない。
(実際、2018年12月にプライベートでチボーが来日した際、感動したワイン、食べ物について即座にジョリスに電話し、興奮気味に話していました。)

チボーとはパリで知り合ったというパートナーのナタリアは、夏はタヴェルでレストランをオープンさせ腕をふるっている。
彼女もまた、バラタンで料理人をしていたことがあり、ワインをよく知っているという最高のカップル。

まさに極みをいくワイン造りのためにこの世に誕生した一家。
2人の時代から4人の時代へ入り、さらに留まることのない進化を続けるラングロール一家は、さらに想像を超えた次元へ、夢のようなワインへ高みを極めていくでしょう。

(インポーター様資料より)


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