そもそもカベルネ・ソーヴィニヨンがラングドックの認可品種ではないので、ファースト・ヴィンテージはヴァン・ド・ターブルとして発売され、偉大なワイン造りを目指してワイン法の外に自由を求める造り手の先駆けとなりました。
(法改正により1979年にVin de Pays de l’Héraultとなり、2011年以降、現在のIGP Saint-Guilhem-le-Désertになりました)。
エメ・ギベールはその後、味わいの複雑性と深度を求めて世界中から多様なぶどう品種(すべて1920年代以前の非クローン樹)を収集して混植し、1980年代から少しずつブレンド品種数を増やしていきました。
(2017年現在の植樹品種数は赤25、白24)。また、1986年には同じ哲学に基づく入魂の白、「マス・ド・ドマ・ガサック・ブラン」の発売を開始しました。
尚、創業時から今日に至るまで、化学肥料および除草剤、殺虫剤、防腐剤といった農薬は一切使用しておりません。
2000年代以降は、父の志を継いだ4人の息子たち(年長順に醸造長サミュエル、栽培長ガエル、販売責任者ロマン、アジア地域輸出責任者バジル)によって運営されており、馬による耕作を導入するなどさらなる改良を積み重ねながら、世界中からの激賞を不動のものにしています。
「父から学んだことの中で最大のものは、毎年収穫したぶどうを前にした時、自然が与えてくれるものに謙虚な気持ちで向き合い、まっさらな気持ちで醸造に臨む姿勢です」(サミュエル・ギベール)。
今日、「マス・ド・ドマ・ガサック」は世界70か国以上に輸出され、フランス国内においても、仏ミシュラン3つ星「ギー・サヴォワ」「ラストランス」「ローベルジュ・デュ・ヴュー・ピュイ」「ル・プティ・ニース」「ポール・ボキューズ」「ル・1947」をはじめとする数多の高級レストランのワインリストを飾っています。
尚、2016年5月に91歳で他界されたエメ・ギベールは、2001年にアメリカの「ロバート・モンダヴィ・ワイナリー」がラングドック地方に進出しようとした際、フランスワインの哲学を守るべく抵抗した中心的人物でもあります。
その当時のことは、近年のワインのグローバリゼーション(世界的規模の商業化)とそれに反対する人々を題材とした2004年公開のドキュメンタリー映画「モンドヴィーノ」に描かれています。
メインラベルは、このペティヤンのコンセプトである「興奮と悦び」をテーマに、パリ在住の女性アーティスト、フローレンス・ビエ(www.florencebillet.com)が特別にデザインしたものです。
バックラベルに記されたアイコンは、「乾杯した後、レモンやオレンジや青りんごの風味を楽しめて、その後ほろ酔いでちょっとおかしく(Folie)なっちゃいます!」
【生産者情報】
「ラングドックのラフィットである」(ゴー&ミヨー)
「南仏で唯一のグラン・クリュである」(ヒュー・ジョンソン)
「世界のベスト10ワインのひとつである」(マイケル・ブロードベント)
このワイナリーの物語は、1970年、当時住居を探していた創業者エメ・ギベールと妻のヴェロニクが、ラングドック地方アニアーヌ村のガサック峡谷にドマ家が所有していた農家(マス)に一目惚れしたことではじまりました。
1972年、同郷の友人で高名な地質学者であったボルドー大学のアンリ・アンジャルベール教授より、この地特有の氷河礫質・石灰質土壌がブルゴーニュのコート・ドール地方の土壌と酷似しており、また、アルザック台地を吹き抜ける冷気によって昼夜の寒暖の差が大きく、類まれなミクロ・クリマを持つことから、「グラン・ヴァンを造ることが可能である」との薫陶を受け、ぶどう栽培を開始しました。
6年後の1978年、同大学の醸造学者で「近代ワイン醸造学の祖」と言われるエミール・ペイノー教授の指導を受けてワイン造りを開始。
ここに、「マス・ド・ドマ・ガサック・ルージュ 1978」が誕生しました。
「1970年代から「ラングドックのグランクリュ」と形容されることの多いドマ・ガサックは、1972年、所有する礫岩で覆われた特異な土壌に、ボルドーのトップクラスシャトーで1930~1940年代に植樹された接木されていないカベルネ・ソーヴィニヨンを植えた。
1978年、エミール・ペイノー教授が醸造と栽培方法をアドバイスするためにドメーヌを訪問。
ステンレスタンクで発酵し、醸し期間は短く、新樽はほとんど使わず、短めの樽熟成をするように助言した。
パーカーポイントの威力やミシェル・ローラン登場前の、いわゆるボルドー正統派の訓えを受けたドメーヌと言えよう。
昔ながらのボルドー魂はドマ・ガサックに引っ越した、といってもいいかもしれない」
(シェア・クルソン/「Just Grapes」誌)。
そもそもカベルネ・ソーヴィニヨンがラングドックの認可品種ではないので、ファースト・ヴィンテージはヴァン・ド・ターブルとして発売され、偉大なワイン造りを目指してワイン法の外に自由を求める造り手の先駆けとなりました。
(法改正により1979年にVin de Pays de l’Héraultとなり、2011年以降、現在のIGP Saint-Guilhem-le-Désertになりました)。
エメ・ギベールはその後、味わいの複雑性と深度を求めて世界中から多様なぶどう品種(すべて1920年代以前の非クローン樹)を収集して混植し、1980年代から少しずつブレンド品種数を増やしていきました。
(2017年現在の植樹品種数は赤25、白24)。また、1986年には同じ哲学に基づく入魂の白、「マス・ド・ドマ・ガサック・ブラン」の発売を開始しました。
尚、創業時から今日に至るまで、化学肥料および除草剤、殺虫剤、防腐剤といった農薬は一切使用しておりません。
2000年代以降は、父の志を継いだ4人の息子たち(年長順に醸造長サミュエル、栽培長ガエル、販売責任者ロマン、アジア地域輸出責任者バジル)によって運営されており、馬による耕作を導入するなどさらなる改良を積み重ねながら、世界中からの激賞を不動のものにしています。
「父から学んだことの中で最大のものは、毎年収穫したぶどうを前にした時、自然が与えてくれるものに謙虚な気持ちで向き合い、まっさらな気持ちで醸造に臨む姿勢です」(サミュエル・ギベール)。
今日、「マス・ド・ドマ・ガサック」は世界70か国以上に輸出され、フランス国内においても、仏ミシュラン3つ星「ギー・サヴォワ」「ラストランス」「ローベルジュ・デュ・ヴュー・ピュイ」「ル・プティ・ニース」「ポール・ボキューズ」「ル・1947」をはじめとする数多の高級レストランのワインリストを飾っています。
尚、2016年5月に91歳で他界されたエメ・ギベールは、2001年にアメリカの「ロバート・モンダヴィ・ワイナリー」がラングドック地方に進出しようとした際、フランスワインの哲学を守るべく抵抗した中心的人物でもあります。
その当時のことは、近年のワインのグローバリゼーション(世界的規模の商業化)とそれに反対する人々を題材とした2004年公開のドキュメンタリー映画「モンドヴィーノ」に描かれています。
★ 「ル・グラン・ド・ガサック」(ムーラン・ド・ガサック)について
「ムーラン・ド・ガサック」は、購入したぶどうから自家醸造するネゴシアン・セレクションです。
(自社畑のぶどうは創業以来、100%「マス・ド・ドマ・ガサック」のみに使用されています)。
醸造長サミュエルと栽培長ガエルの指揮の下、「ムーラン・ド・ガサック」専属の栽培・醸造チームが、契約する「ロルマリーヌ協同組合」(3社統合以前は「ヴィルヴェイラック協同組合」)の加盟者から選抜された栽培家に対して、同セレクション用の区画・栽培方法・収穫日等を細かく指定し監修します。
醸造所のタンクの半分は同セレクション専用のものであり、自社チームが醸造を行います。
「1980年代後半に、EUからラングドックの生産者たちに減反の奨励が行われました。
“美味しくもないチープワイン造りなんかやめなさい”と。
このことが父の闘志に火をつけ、「マス・ド・ドマ・ガサック」のフィロソフィーである「フィネス・エレガンス・バランス」のエッセンスは低価格帯の南仏産ワインでも実現できることを証明するために、1991年にリリースしました。
栽培から醸造まですべてを「マス・ド・ドマ・ガサック」と同じ哲学・考え方で行い、同じ情熱を注ぎ込んで造っています」(バジル・ギベール)。
2017年、同セレクションより、「マス・ド・ドマ・ガサック」とのラベルデザインの統合性を高めた決定版レンジ「ル・グラン・ド・ガサック」が発表されました。
私たちは「マス・ド・ドマ・ガサック」の正規日本総代理店として、こちらの新レンジをご紹介してまいります。
(インポーター様資料より)