貴腐化したブドウが40%という2018ヴィンテージ。 DOCを通ったことで初めてブドウ品種を名乗ることが出来たネカイ。 繊細さとアロマティックさのバランス。 貴腐の恩恵は香りに複雑さと繊細さを加え、華やかでいて繊細な味わい。
【生産者情報】 前に進み続けることが当然!と言わんばかりの揺るがない強い意志と、積み重ねてきた経験。 1998年よりカンティーナを立ち上げ、リボッラジャッラをはじめとしたフリウリ特有のブドウを栽培。 土地への最大限の敬意、概念に囚われない醸造、果皮の本質を見せるワイン、揺るぎない信念(頑固さ)をもつダミアン。 「畑での仕事量こそがワインの根幹を成す」その言葉通り、畑仕事への追及はどの生産者よりも激しい(恐ろしい)。 樹上での熟成は、収穫を11月まで遅らせることも少なくない。 土地由来の強いミネラル、果実的熟度、さらにはボトリティス(貴腐菌)の恩恵をも受けた彼のワイン。 貴腐化した果実を含むため、非常に厳しい選果を行ってから除梗。 縦型の開放式大樽の中にて2か月以上のマセレーションを行いつつ、野生酵母にて醗酵。 圧搾後、大樽にて熟成。4年以上のサイクルにてボトル詰め。 土地の持つ強烈なミネラル、完熟した果実、骨太な酸、さらにはボトリティスの恩恵を受けた彼のワインは、豊かさと旨みはもちろんの事、他のいかなるワインとも異なる個性を持つ。 ダミアンは常に進み続けてきた造り手といえる。素晴らしい出会いの度に一歩ずつ進み、一つずつ築きあげてきた。 彼の父は数haのブドウ畑とオステリアを持ち、栽培したブドウで造ったワインを店で売る、当時はポピュラーなワイン造り。 しかしそんな「当然な」ワインに満足せず、畑仕事が得意だ った父について幼いころから栽培や醸造にのめり込んでいくことになる。 ダミアンにとって一つの大きな出会いでもあるオスラヴィエのヨスコ・グラヴネル、きっかけはやはり父であった。 1985年、フリウリのワインに造りの「定説」に一石を投じたヨスコのもとには、多くの造り手が集まり (今では素晴らしい造り手ばかり、のちにそれぞれの価値観を持ち、離れていくことになる。当時の彼のカンティーナには溢れんばかりの熱意と信念、才能が集まっていた。)、 濃密な時間を共に過ごすダミアンは、自身今までにないほど多くの事(本人曰く、技術的なことではなく、より内面的な部分で学ぶことの方が多かったという。)を学び、自身のフィロソフィを築いていくこととなる。 彼が父から離れ、本格的に栽培・醸造を開始したのは、 1998年、ゴリツィアの西にある放棄された畑(Monte Calvario)の畑を手に入れたことから始まる。 彼のワインには2つの表情:ヴィンテージごとに見せる顔がある。 特に彼にとって印象的、というより過酷過ぎる収穫(冷夏と多雨、収穫前の雹によって約8割の収獲を失ってしまう。 残った果実にも傷がつき、収穫は房ごと、ではなく粒単位での収穫を余儀なくされた年)は、彼にとっての今後を、はっきりと示すこととなる。 寒い年、雨の多い年にはボトリティスの恩恵を強く受けることで、表面的な味わいというより、より奥深い、ポテンシャルを感じるワインになる。 それに比べ、気候に恵まれ果実的な熟成を遂げたヴィンテージには、非常に素直さ、明るさ、親しみやすさを持ち、豊かな飲み心地を持ったワイン。 こうした二つの表情、大きな変化、その背景には彼自身の成長・変化をはっきりと感じることができる。 「ヨスコから学んだものはブドウ作りや醸造方法じゃない、もっと大切なものだ。生きる上での価値観やフィロソフィ。 大地、植物、すべての小動物、一体化した自然環境に最大限の敬意を払うこと。妻、そして家族を愛すること。そして自ら経験しなければ、何一つ学べないということだ。」 2012年はダミアンにとって「偉大」と言える素晴らしい収穫を迎える事になりました。 樹上で果実は十分に成熟し、貴腐がた っぷりと回ったリボッラ ジャッラ。収穫を遅らせても、果実的なバランス感を失わなかった果実は、雨が多かったこともあり、貴腐の 量は全体の50~60%に及びます(一部のリボッラにおいてはほぼ100%に貴腐が回ったと、、)。 醸造については今までと変わらず大樽によって、果皮・種子全てを表現した醗酵。 熟成においては、今までより樽での熟成を長く取りました。 ボトル詰めから今回の リリースまで5 年という歳月を費やした、ダミアン渾身のヴィンテージとなります。 ヨスコとの出会い、別れを経験したダミアン。 リボッラ2005という記念すべきヴィンテージのリリースを迎えた彼は、また一つ歩を 進めたかのように思う。 彼自身の成長はそのままワインの成長につながる、常に前へ進むことを忘れない、尊敬すべき造り手。 (インポーター様資料より)
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